なんだか時が進むのが早い

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お久しぶりです!くじょーです。

息子はもうすぐ1歳。いよいよ赤ちゃん→幼児になってきて、元気いっぱい過ぎてお母さんは毎日へとへとです。いま寝かしつけが終わって、1日のほっと一息できるタイムです。


そういえば私、10代20代のほとんど美容室に行ったことがなくて、最後に行ったのは成人式の時だったと思います。子供のときは天パーがコンプレックスで、なおかつブスだし、ずんぐりで、そういう自分が美容的なこと(お化粧とか)するの恥ずかしくて、人に髪の毛を触られるのもとても嫌(頭なでなでとかマジファッ○!)でした。というか美容師っていう人間がそもそも苦手だったんだと思います、対極すぎて。よく知らない人と会話するのも億劫でしたし、天気の話とかマジで何の意味があるの?って、私はそういう人間でした。で、これからは子供の人生にも私の人生(私の行動とかコミュニティ)って大きく関わってくるんだなーって。そんな時にあの有名なスティーブ・ジョブズのスピーチと、雨宮まみさんのコラム(「いい歳して美人に嫉妬する私」 雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第12回 | ココロニプロロ|恋愛×占い)を読む機会がありました。読み終わったら「早く美容室行かないと!」って思いました。思い立ったその日にネットで近くの美容室調べて次の日の予約して。当日は緊張して10分前くらいについちゃって。白髪もあったからか、カラーやりますか?って聞かれたけど、びびりなのでカットだけにしました。今まで自分で髪の毛切ってたんで(中がバラバラな切り方で)少し怒られたけど、天気の話も子供の話も美容室ぜんぜん行ってなかった人生の話も、なんだかすごく楽しくて、私ずーーーっと喋りっぱなしでした。終わったら気持ちも軽くなって、帰り道でるんるんで、あーもう美容室最高かよ!って思いました。今は2ヶ月から3ヶ月のペースで美容室に通ってて、なんとカラーもし!て!い!る!


おしゃれするとバカみたいに見える、サマにならないことはしてはいけない、そうやって人を困らせてはいけない、恥ずかしいことはしてはいけない、みたいな超バカバカしい過剰な自意識、それが一緒に体内から追い出されちゃったみたいに、子供産んだら厄が落ちたみたいにすっきりした。

(※コラムの中から抜粋)

その体験をして気づいたのは、外見についての苦しさの第一歩に「きれいになりたい」とか「かわいくなりたい」とか、そうした気持ちを自分なんかが持つのはおこがましい、という思いがあった、ということでした。

(中略)

「自分ならしないだろうな」ということは、「してはいけない」ことではないんです。そして、「自分ならしないだろう」ことを、人は「自分がしたいか/したくないか」よりも、他人から見た自分が「自分らしいか」という基準によって決めていることがあります。はみ出したらぎょっとされる。「一体どうしたの?」と言われる。でも、「一体どうしたの?」と言われるようなことをしてみて初めて、自分が「見られる客体」ではなく、「自分のしたいことをする主体」になれることを実感できる、ということも多々あると、私は思います。

(中略)

最初から自分のことを自然に愛することができなかった人間にとって、人生は自分を愛するための冒険であり、それをする過程で他者への愛を知ろうとする冒険でもあると私は思います。そして、いろんな思いをして勝ち取った「好き」という気持ちは、そう簡単に揺らぐものではないんじゃないか、と思うのです。


はてなダイアリーでずっと一緒だった子が結婚した。(昔のインターネットのはてなでお互いの日記を読み合ってた人たちはなんて呼べばいいんだろう?会った事無いと友達ってのも変だし、知り合いより知ってる感じあるし、盟友?)なんていうか本当にめちゃくちゃ嬉しかった。おめでとう!